こんにちは! KANAです。
梅雨の季節になりました。
雨が降ると出かけるのがおっくうになってしまいますね。
そんなわけで、今回は読者の方々を栃木県の日光東照宮へご招待いたします♪
先に宣言いたします。毎度のことではありますが……
陽明門や三猿や眠り猫といったどこにでも載っている陳腐な記事は書きません!
写真集とマニアックなガイドにしばしお付き合いください(笑)
東照宮とは
日光は地名で、東照宮はその中の一つの神社を指します。
ご祭神は東照大権現(とうしょうだいごんげん)。天下統一を成した徳川家康公の神号です。
東照とは東より薬師如来が照らす瑠璃色の光を指します。
家康公のご生誕の際、その両親が薬師如来に子を授かるよう願ったといいます。
その子が戦乱を終結させ、死してもなお日本をお守りするのだとして、
“薬師如来が生まれ変わりこの世に顕現する”という意味から東照大権現となったそうです。
全国最大級の石製鳥居
正面に立つ高さ9mの石鳥居は
福岡藩(現在で言うところの東は日田、西は前原、北は黒崎まで)の初代藩主・黒田長政公が
糸島から海陸路を通じて日光まで石材を運び、組ませたものです。
400年前のことなので、当然人力です。
これを完成させるということはすなわち、福岡藩の財力と技術力を表したともいえます。
9m先にある笠木(かさぎ)と貫(ぬき)(二本ある横向きの柱です)を見上げると、
凸凹の石が組み合わさっているのがわかりますでしょうか。
石一本で作らず、わざと組んで石と石の間に隙間を作ることで
地震が来ても揺れを吸収し、崩落しづらくなるのだそうです。
釘を一切使わない、木造の古い日本建築と同様です。
脚には名前(黒田筑前守藤原長政)が彫刻されています。
全国の大名が石灯篭や手水石といった様々な物を寄進していますが、
ここまではっきりと名前を残されているものは珍しく思います。
全国の大名が遺したもの
東照宮の建立の際には、先述した黒田家以外にも全国の大名から
石灯籠など様々なものが寄進されました。今でいう開業祝いのスタンド花のようなものです。
石や金属でできた灯篭が東照宮内に121基あります。
このうち、ご婦人が寄進されたものは写真一枚目左上のものが唯一だそうです。
他は家名の記載がないので社務所で尋ねました(社務所の方、ありがとうございました)。
伊達家や島津家の金属製の灯篭は、当時の鋳造・鋳鉄技術からするととても希少です。
手水舎の手水石は、御影石をくりぬいて作製されました。
機械もないあの時代に、サイフォン式で自動的に水が出るよう工夫されています。
こういったものを複製するとしたら、現代の技術でどれだけの時がかかるのでしょう……。
オランダからの贈り物
先述した伊達家の鉄灯篭は、オランダから輸入された鉄を使用したものです。
戦国時代にカトリック系のキリスト教を広めたのはポルトガルですが、
オランダはプロテスタント系のキリスト教国です。
当時は豊臣家、徳川家ともにキリスト教布教には否定的でした。
カトリック系の宣教師は布教に熱心であったため、オランダ国に傾倒していったのだと思います。
この写真は陽明門を抜けた先にある鐘楼の一部です。
これもオランダから寄進されたものなのですが、
よく見ると徳川家の家紋「三つ葉葵」が逆さまになっています。
外国から見れば違いなどわからないのでしょうが、
世が世ならオランダ国との外交も手切れになり、鎖国に拍車がかかったかもしれませんね。
いかがでしたか?
このあたりで東照宮の記事は〆となります。
人がいないところばかりでしたので、写真は撮り放題でございました(笑)
これだけ大規模な建物なので他にも見所はたくさんあるかと思いますが、
名所らしい名所はプロのライター様の記事をご覧ください(笑)
それではまた次回お会いしましょう(*u v u)
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